「無垢」という曲から連想したこと。
昔から自己肯定能力が低いことを自認している。
グループ内で意見を出さないとか人に従うと言ったよく聞く「日本人的和を尊し」ではなく、
自分の意見を持つことに罪悪感を覚えるというさらに一歩下がったものだ。
もしくは自分の行動や意見で人が動くこと・何かしら影響を受けることを多分に嫌う。
子どもや年下相手や身内であっても遅れることや待たせることに「申し訳ない」という気持ちが働くし、
そのために急ぐことや何かを省くことなんてザラだ。
でも自己犠牲が好きなわけではない。
そんな聖人君子ではないし、人を憎む感情も思い通りにならないことも多々ある。
求められれば発言するし、むしろ一人で動けと言われれば率先して動ける方だ。
要するにただ団体生活が苦手なだけなのだろうか。
集団で物事を成すことを不得手とする人間なんて大勢いる。
自分も例にもれずその一人なのだろう。
ただ若い頃に外国人が集まるパーティーに呼ばれたことがあった。
理由は外国人と付き合ってると言う友だちがいたから一緒に行かないかと誘われただけだが。
それでも多くの友人がいる彼女があえて私を連れて行ったことに理由はあったようだ。
「他の人は行きたくないって言ったの。あなたならこういう場所大丈夫だと思ったから」
私なら特に外国人が集まっていようと無神経にマイペースだからなのか、
相手に合わせずに空気でいられるからなのかはわからない。
でも不思議と自分も「そうだよな」と思った。
特に気おくれしたり居心地が悪かった記憶もない。
「空気を読む」というのは不思議な日本語だなと思うと同時に、
いかにも日本的な感じもする。
そこにあるけれど見えないものを読む。
それって必要なものだろうけど見方によっては全く意味がないことだ。
人目を気にしない人間なんていないし、
誰に対しても遠慮をせずに生きていける人間なんて
仙人か無神経かのどちらかだろう。
空気になりたいと思う必要はない。
誰からも必要とされないことが辛くて命を絶つ者もいれば、
多くから必要とされてその苦しさから命を絶つ者もいる。
正解なんてない。
嫌いな言葉だけどやっぱり必要なんだろうな、「中庸」って。