世界の中心でHateを叫ぶ

「キライだと言えない社会の淵で」

加害者と被害者と傍観者。

いつどこにでも叩かれやすい人がいて、叩く人がいて、それを見ている人がいる。

 

これって週刊誌にとどまらず実際に誰にでも経験があることだと思う。

 

 

 

学校はもちろん社会に出てからもいじめってあるし、

 

大きく報道されるのはほぼ亡くなった方。

 

今さら加害者の人権とか更生がどうとか言うつもりはない。

 

そんなこと不毛だ。

 

 

 

よく言われるような、被害者にも原因はあったという議論もどうでもいい。

 

実際問題としてこの世にいない人、いる人を同じ土俵で論じること自体必要ない。

 

 

 

性悪説性善説を問うまでもなく、

 

人間には善悪を判断する機能は備わってるものだと思う。(少なくとも先天的に)

 

加害者が「自分は良いことをしているんだ」と思っていじめを行うなんてことはおそらくないだろうし、

 

原因は当人同士にしかわからないんだろうけど泣くのはどちらか一方だ。

 

 

 

責められて腹が立つのは自分にも非があると自覚しているから。

 

心のどこかで疾しい気持ちがなければただの言いがかりにしか聞こえないし、

 

腹が立つこともないだろう。

 

 

 

また被害者と加害者だけでなくそれを見ていただけの人も同罪だとか言われる。

 

確かに口を出すことで自らに危険が及ぶことを躊躇しない人間はいない。

 

でも違うだろ。

 

悪いのは加害者だけだ。

 

 

 

手を下された方、心を傷つけられた方、手を差し伸べられなかった方、

 

生き残った人間だけが起こったことを思い、悲しみ、反省し、

 

もしくは反省しない人生すらも選択できる。

 

 

 

死者には残された人生なんてない。

 

語る口すら残されてはいない。

 

ただ黙すること。

 

そして誰かが哀しみを抱いたまま生きること。

 

 

 

いつか記憶が薄れゆくことがあっても、

 

喪った現実だけは覆ることなんてない。